前回、「ありのままの目」ということについて、お伝えしました。
今回はさらに深めてみたいと思います。
ちなみに普段、私たちは脳を使って見ています。
対象物を見ようとしていると言ってもいいかもしれません。
しかし、見ようとすればするほど、花は花、花瓶は花瓶にしか見えません。
脳で見ている目は、言葉で見ている目だからです。
言葉は、過去の経験から身につけた、固定概念です。
私たちは、ありのままの花や花瓶を見ているわけではなく、
過去の記憶を対象物に映し出しているのです。
今この瞬間を見ているようで、実は、今を見ているのではないのです。
それでは、脳で見ない目とは何か?
それは「感じる目」です。
「感じる目」とは、「受け身の目」といってもいいかもしれません。
一方、脳で見るのは、能動的な目。
「受け身の目」は、ガツガツ見るのではなく、
対象物が目に飛び込んでくる感覚。
「見る」のではなく、「見える」という状態です。
「見える目」を意識していくと、
あらかじめ過去の記憶でインプットされた目ではないので、
ありのままの姿を感じることが可能になります。
「見える目」を意識していると、徐々に花びらや茎の姿がくっきりとし、
影と光のグラデーションは、さらに鮮やかに見えてきます。
花瓶は細かい模様、丸み、でこぼこなどがはっきりしてきます。
禅の修行では、「半眼」という状態を作ります。
半眼とは、半分ほど目を閉じた状態です。
当初、私は、半眼の意味がよく分からず、
寝ないようにするために半分だけ目を開けている状態なのだ、
くらいに理解していました。
しかし、禅の師匠から
「半眼とはガツガツ見ようとしない目のこと」だと教わりました。
私たちは、見ようとすると、つい目に力が入ります。
目に力が入ると、全身に緊張が起こります。
目を使いすぎると、肩や背中が凝るのは、このためです。
また、脳で見ようとすると、平面的にしか見えず、視野が狭いのも特徴です。
一方で、「見える目」に飛び込んでくる景色は、
立体的で、視野も広がっています。
これを仏教で「ありのままの目」「仏の目」と呼んでいるものと
私は理解しています。
普段私たちはビジネスや家庭で忙しい時ほど、見よう見ようとする傾向があります。 しかし見ようとすればするほど、実は見えなくなるものがあるのです。
ぜひ、皆さんも「見る目」だけでなく、「見える目」にも挑戦してみてくださいね。