打つことに執着する意識を捨て、心を一点に集中すると、
自然に力が抜けて、心と体とクラブ等が調和し、
流れに任せることができる。

たとえば野球の場合、ピッチャーの動きや呼吸、来る球に
意識を向けて無心で集中すると、自然にバットが出てくる。

これがここ一番の「一撃の心」であるということをお伝えしました

今回は、一撃の心を作る「本当の強さ」についてです。

何かに執着するのが人間です。
しかし、一つのことに執着しすぎると自由を失います。

大事なのは自分の心のバランスをとるための、
自分の心の立ち位置を知ることです。

西洋では「二元論」を中心に物事を考えます。
「良い・悪い」、「自分・他人」、「美・醜」を
区別するのが二元論です。

一方、禅に良い・悪いはありません。
すべては対立するものではなく、1対になっているのです。

コインの表と裏のようなものであり、

  • 自分は他人の鏡であり、他人は自分の鏡である
  • 愛があるから憎しみが生まれる
  • 分かったと思ったときは実は分かっていない。分かっていないくらいが分かっている

ということになります。

夜明けを想像してください。

暗闇から太陽が昇ってきます。
そのとき、太陽の神々しさを感じます。

しかし、この世に暗闇がなければどうでしょう。
私たちは、光の存在を認識することはできません。

「光は闇」「闇は光」
すべては2つで1つなのです。
これを私たちは「おかげさま」という言葉で表現しています。

両方が存在するからこそ、すべての物事は生きるのです。

これは日本人独特の世界観です。

光ばかりに目がいけば、暗闇を見るのが怖くなります。

暗闇ばかり見つめれば、光に出るのが怖くなります。

強さばかりにこだわれば、弱さを見るのが怖くなる。

また弱さばかり見ていると、臆病になり勇気が出ない。

強いから良い、弱いから悪いではないのです。
どちらの面もある。「強さとは弱さ」、「弱さとは強さ」なのです。

実は人は、物事には両方の面があることを無意識に知っているのです。
だからこそ、どちらかに偏ると、心のバランスを崩すのです。

この2つを1つと考える状態。

どちらにも偏るのでなく、いずれも自由に行き来できるしなやかさ
これが人にとって、最も自由な心の状態なのです。

これこそが本当の強さである「しなかやな心」です。
しなやかな強さとは決してぶつかる強さではありません。
相手の力さえも自分の力に変える合気の心。

すべてを包み込む愛に溢れています。

これをゴルフで言えば、「打つことは打たないこと」につながるのです。

打とうとして、打つことにこだわりすぎると、
逆に力が入って打てなくなる。

一方で、まったく打とうとしないと集中できず、
スイングの軸もぶれてしまいます。

この打とうとせず、打とうとする
という心の状態を作るのが、
ゴルフにおける心の立ち位置を作ることなのです。

これはなかなか難しく、個人によっても、かなり差があります。
だからこそメンタルトレーニングが必要だと私は考えています。

もう少し言うと、ゴルフではスコアという結果がはっきり出ます。

だからこそ面白くもあり、苦しくもあるのですが
結果がばかりを求めすぎると、バランスを崩します。

そこで「結果を出すために、結果を捨てる」という
心の立ち位置が必要になるのです。

結果を捨てるという心を持つことで、
プロセスの大切さが見えてきます。

結果を求めるがあまり、集中力が落ちている
選手を見ることがよくあります。

そういう時こそ、結果を捨てて、
今この瞬間、この一打にのみ集中する心に戻すのです。

すると、多くの選手が自分本来の姿を取り戻し、
体がスムースに動き始め、結果もついてくるのです。

これも「結果が出ればよい、でなければ意味がない」という
2元論では見えてこない世界だと思います。

よくゴルフ場には人生があるといわれます。

ゴルフをスコアだけで考えるのではなく、
私は書道や華道と同じ「ゴルフ道」と捉えています。

「道」とは、一つの物事を通じて、生き様や真理の追究を体現することや
自己の精神の修養を行うこととされています。

まさに、日本古来の武士道をはじめ、
その道の達人は、一生を通して道を追い求めました。

「道を極めていく」と考えれば、
さらにその習得は奥深く
人生にとって有意義なものになるでしょう。

ゴルフで思ったようにうまくいかないときに
人はすぐに怒ったり、投げ出したりしがちです。

でも、「うまくいかないことは、うまくいくこと」なのです。

つまり、うまくいかないことには
うまくいくための色々なヒントや改善点があるのです。

それは、うまくいっているときには見ることができません。

ぜひ、あなただけの「ゴルフ道」を極めてください。