メンタルトレーニングのコラムを連載中の週刊ゴルフダイジェスト、今回のテーマは「向き合わないから見えてくるものがある」です。

新年から女子プロゴルファーとのメンタルトレーニング合宿に行ってきました。寒い中ですが、メンタルを鍛えるには絶好の時期といえます。

朝から坐禅で瞑想し、パッティングとアプローチの練習、ラウンドでの実践トレーニング、一日の振り返りというのが基本的な流れです。走り込みなどのフィジカルな内容はなく、普段考えている思考を捨てるメンタルトレーニングをやっていきます。

基本的には「楽しく」「ノビノビ」とプレーすることが目的ですが、意識していなかったことを意識するのは、結構大変なようです。選手によると、「普段やっていることの真逆」「まったく使っていなかった脳や身体を使っている」と感じるとのことで、地味にきついそうです。しかし普段と真逆のことをやってみることで、選手たちの持ち味が輝きはじめるのです。

今回、選手からのコメントで印象に残ったのが、「『向き合わなくていい』というアドバイスが新鮮だった」という言葉でした。

この女子プロは、この数年間、どれだけ練習を重ねても結果が出ない時期を過ごしていました。練習をすればするほど、本番では結果が出ない。その原因に、ずっと向き合い続けてきました。

ハングリー精神が足りない。もっと積極的に。様々なアドバイスを受ける中で、それを取り入れ、また向き合う。結果が出なくても、毎試合向き合う。向き合うことに疲れていたように見えたのです。

向き合うということは大事です。向き合うというのは、危機感が原動力となっています。
若い選手には、逆に自分と向き合えるようにアドバイスします。

上手くいかないのは人のせい。コースのせい。クラブのせい。「ありのまま」という言葉を自分の都合によいように使っている場合もあります。自分と向き合わないと、乗り越えられない壁があるからです。

でも、向き合うばかりでは、疲れてしまいます。私自身は人生の中で、向き合うことをずっとやってきました。人が成長するには向き合うしかないとも思っていました。その当時の自分に「向き合わなくていい」という視点がなかったのです。

禅の修行というと、一見自分に厳しく、自分に向き合うことを徹底的にやっていくように思いがちです。ところが、坐禅をやっていると、向き合うという意識が消えるときがあることに気づきました。向き合わないから見えてくるものがあるのです。それは、自分の中にある「安心感」。人は安心感で動くことも出来るのです。

安心感は、向き合うという視点とは違います。本来持っている自分の感覚とともにいるという感じでしょうか。それは、余分な頑張りを減らさないと、感じられません。身体でいえば、自分で動かそうとするのではなく、すでに存在している微細な感覚に敏感になるという感じです。

動いているモノをただ感じることで、そこにエネルギーが通るようになります。それだけで、身体はイキイキと動き出し、心が安心感を感じるのです。

坐禅をする中で、「向き合わなければならない」というのは自分の「我」であったことに気づきました。それが自分の呼吸を苦しくしているのだと。

向き合わなくていいというあり方が自分の中に生まれたことで、生き方が広がった感じがします。危機感で動くか安心感で動くか。いずれかではなく、両方を認められると、いい塩梅になるのではないでしょうか。