昨日は、月に一度の「無心のマインドフルネス研究会」でした。
さまざまなテーマで議論が白熱しましたが、マインドフルネスを考える上で、私が関心を持ったポイントは「主体」。だれが、どんな状態でマインドフルネスするか。
最初は多くの人が「私が呼吸を感じる」という努力からスタートします。それが徐々に深まる中で、「無為自然」な状態に変わっていくのか。メンバーの1人は「ボディがボディをみる」という表現をされていましたが、私自身マインドフルネスを体感する中で、一つのゴールはそこにあるのではないかと感じています。
まだまだ探求の入り口にいるくらいの未熟者ですが、何を目指して取り組むかによって、たどり着く先がまったく違ってくるように思います。
あと、これまでの学びや気づきを通して、自分自身の中に湧いてくる思考や心は「温かく」「思いやり」をもって、否定せずありのままを見られるようになってきたように感じます。
ただ、身体はどうでしょうか?
年々衰えていく身体に対して、残念な思いで見ていました。また、スポーツをしていても、思うように動かない身体に対していらだちを感じたり、つい責めたりしていました。
ボディスキャンというマインドフルネスのテクニックがあります。頭のてっぺんからつま先まで観察していくワークですが、アスリートへのメンタルトレーニングをしていて、非常に高い効果を感じています。ただ、身体をどういう目で見ていたかは今まで考えたこともなかったです。
これまでは結構、身体に対して、冷たい目で見ていたのではないかと気づかされました。どこかで動いて当たり前という感覚があったのかもしれません。
藤田一照さんから「ボディスキャンはもっと温かく、愛情を持ってもいいのではないか(caring attention)」という投げかけがあり、実際にやってみたところ、まったく違う感覚であることに気づきました。
たとえば、目であれば、お疲れ様という感覚で目を見ると、目の緊張が緩むのを感じます。親指であれば次第に温かくなってきます。
実際にアスリートでもスランプに陥っている選手を見ると、体を鍛えることには一生懸命ですが、同時に思うように動かないことで身体へのいらだちを感じています。温かい目ではありません。これでは、心と身体は上手く調和しないのではないか。新たな仮説が生まれました。
ボディスキャンは、ただ観察するというやり方が基本かもしれませんが、「温かさ」を入れたボディスキャンがあってもいいのではないでしょうか。これは宿題として、選手達とのメンタルトレーニングで実際にやってみたいと思います。