ゴルフダイジェスト誌が2020年09月29日発売の2020 No.38号で、「無心のゴルフ」という特集を組んでくださいました。
「どうすれば無心になれるのか?」という質問をアスリート達から受けることがよくあります。
「無心」は、スポーツにおいて究極の集中力状態といえる「ゾーン」とつながる、メンタルトレーニングにおいて、もっとも重要なテーマの一つといえます。
ただ無心は求めるほど、無心から遠ざかっていくという性質を持っています。なので、今までの努力の延長戦で無心を考えようとすると、無心には辿り着けません。
そもそも無心とは何でしょうか?
無心は概念ではなく、個人的な体験です。
なので言葉にしようとするほど、無心から離れていくのです。まるで手のひらで掬おうとすると、スッと抜け落ちてしまう。いったん言葉で切り取ってしまうと、木の枝から落ちた葉っぱのように色褪せてしまう。そんな無力さを痛感しながら、それでも何とか言葉にしようともがいてきました。
ただ無心そのものは語れなくても、無心の入り口はいろいろあることが分かってきました。
特集の一部を抜粋してご紹介します。
無心とは、ゴルフでいうと『私がボールを打つ』『私がクラブを操る』の『私が』が抜け落ちている状態、一元的な打ち方が“無心”。西洋流のスキルで『私が』を強化していく二元的な打ち方を“有心”と呼ぶことにしましょう。有心で得た物事で人間社会は進化してきました。無心は真逆の方向で、ある意味退化です。脳や身体をオリジナルな状態に戻していく。『私が○○さんと話をする』という二元的な状態が世の中の普通の見え方ですが、話をしていると自分がなくなってくる瞬間ってあります。それが一元的な状態で“心地よい”時間なのです。
時間も自分も忘れ、自分と相手が混じり合う心地よい時間、心地よい空間。それはスポーツにおいても起こることなのです。
ゾーンもその一つです。自分が打とうとしてはいないけど、ボールがイメージ通りいくかとか。自分とプレーが一つになって、プレーがプレーする、スウィングがスウィングするという状態です。
今回の特集では、他にも以下のようなキーワードから無心のプレーについてお伝えしています。
- 既存の枠をぶち壊していくという姿勢 ブライアン・デシャンボーから学ぶべきこと
- 子供の無心と大人の無心の違い
- 無心とは「私」が消えているプレー
- 二元的な「有心のプレー」と一元的「無心のプレー」
- 結果はすべて体験として捉える 成功・失敗というジャッジから離れる
- 最後に万策尽きて諦めたときに…
- 距離感とは機械で測った距離ではなく…
- プロセスと結果のいい緊張関係が大事
- 仕事とスポーツはつながっている
- 無心は入るものではない
- 道具は相棒
- まずは、身体の声を聴くこと
何か心惹かれたキーワードはあったでしょうか。
私自身にとっても、「無心で生きる」というのはライフワークです。今後も探究を続けていきたいと思います。
特集は週刊ゴルフダイジェスト第38号に掲載されています。
ご興味のある方は、ぜひ読んでみてください。