ある時、禅の老師から「私たちの人生で一番若いときはいつでしょうか。」と問われました。

生まれた時が一番若いと答える方もおられるでしょう。人は、年齢を重ねながら徐々に年老いていく。体力面でも若いときにはかないません。これは、過去から未来へという時間軸です。

一方で、今が一番若いと答える方もいるでしょう。今が一番新しい。過去はどんどん古くなっていく。これは、今から過去へという時間軸です。

人生を過去から見るのか。それとも今から見るか。どうとらえるかで人生もスポーツもまったく変わってきます。こうした見方を禅の修行を通して気づかされますが、まさにメンタルのトレーニングだと思います。

あるベテランのプロゴルファーは、年々プレーをするのが苦しくなっていました。若いときは、ドライバーはもっと飛んでいた。この距離は8番アイアンで打てたのに、今は7番でも届かない。プレー中、無意識に若い自分と比べているのです。常に無理しながら打っていたので、力んでしまったり、ナイスショットを打ててもバンカーに捕まったりと、悔しさと落胆ばかりが残ります。これは老いと戦っているプレー、過去から未来へという時間軸です。

一方で心が若いプレーとは、今をプレーするということ。このプロとのメンタルトレーニングでは、まず今の自分を受け入れることから始めました。今だからこそ、出来ることは何か?という視点でプレーを組み立て直しました。すると、無駄な力みが消え、ドライバーの正確性が飛躍的にあがりました。また躊躇無く無理のない番手を選択できるようになり、球筋も昔のドローに戻ったそうです。

アマチュアの方でも、昔は片手ハンディだった。20代の頃は300ヤード飛ばしていたと自慢している方に出会います。昔を懐かしむのは悪くないですが、その次にお会いしたときも、また同じ話をしているのです。年齢を重ねる中で、体力が衰えていく自分を受け入れるのは、なかなか簡単ではないのだと思います。

先日、80歳の元経営者とゴルフをする機会がありました。経済界でも名経営者と言われている方ですが、クラブをみると、ドライバーもスプーンも入っていない。ティーショットはいつも5番ウッド。理由を尋ねると、「未練を断ち切るため」。年をとって、ドライバーを振るのはしんどくなった。しかし、バックに入れていると、つい見栄と欲がでて、飛ばしたくなる。その未練を断ち切ったときに、若いときとは違う、「侘び寂び(わびさび)」がゴルフに出てきたそうです。侘び寂びとは禅の言葉であり、「寂び」とは、時間の経過によって劣化していく様子を意味しています。そして「侘び」とは「思い通りにならない辛さ」。老いというどうにもならない人間の切なさと苦しみ。それが転じて「閑寂さのなかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさ」を意味するようになりました。実際、この方の5番ウッドの球は美しいのです。飄々とプレーされる姿に感動しました。「まだまだ欲はあるし、いつもエージシュートを狙っているよ。」と笑いながら話されていました。

皆さんは、今をプレーしていますか?