Contents
禅コーチングとは
禅コーチングは、企業の経営者やご自身で独立起業されている方、アーティストなどが利用されています。
禅コーチングは、周りの力を借りることで、言葉を完成させるプロセスです。自分だけでは言葉は完成しないのです。
セッションでは、2人でいっしょに言葉を完成させていきます。言葉は1人では完成できませんが、人の「力を借りる」ことで、自分の言葉を超えた「無心の言葉」に出会えます。
たとえば、リーダーとして部下に伝える際、人に思いをより上手に伝えるためにも、「力を借りる」方法は有効です。
禅コーチングは、こんな方におすすめです
- 思いを上手く表現出来ない
- 言葉で相手を傷つけてしまうことがある
- 自分の言葉に説得力がないと思っている
- リーダーとして部下の力を借りるのが苦手
- 今のやり方に限界を感じているが、どう壁を突破すればよいか分からない
- すぐにムキになってしまい、判断が偏ることがある
- 自分が本当にやりたいことが分からない
- 以前のようにモチベーションが湧いてこない
あなたにとって未完成の言葉は?完成させたい言葉は?
あなたにとって未完成の言葉とはなんですか?完成させたい言葉は?
そこにあなたの人生のテーマがあります。
禅コーチングでは、一般的なコーチングのような、問題をすぐに解決するというアプローチをとりません。あなたが問題だと思っていることは、本当の問題ではないことが多いからです。
禅コーチングでは、問題だけを対象とするのではなく、あなたの人生との関連を見つめます。問題と見えるものが、あなたの人生のテーマとどうつながっているのか?という観点で扱うのです。
問題とあなたの人生のテーマとのつながりが見えてくるまで、問題を問いとして持ち続ける中で、問題と思っていた事柄が少しずつ変化し、問いが深まっていきます。本当に必要なのは、手っ取り早い答えや解決法ではなく、本当の問いに出会う力なのです。
本当の問いは、あなたに与えられた人生のテーマとつながっています。人生のテーマは、あなたの軸となるものです。
グループ禅コーチング
禅コーチングは1対1が基本ですが、グループコーチングも実施しています。企業での幹部社員が参加する場では、コーチがグループをファシリテートすることで、本音の対話が生まれてきます。
世界とつながる禅コーチング
今、日本は世界との共生の時代に突入しています。スポーツもアートもビジネスも世界に挑戦していく力が必要です。
世界という大きな視点から物事を見られる力、そして世界に挑戦していく 勇気、これらがこれからの「生きる力」です。そのためには、まず日本人としてしっかりと心の軸を作ること。例えば武道、茶道、華道など「一生かけて道を極めていく」という考え方が日本には古くからあり、「禅」の考え方が基本になっています。決しておごらず、「初心」を忘れないことが成長の要です。
さらに、この土台に科学に基づいた指導が加わることで、1人1人が持つ才能と可能性を最大限に引き出していきます。
代表理事 赤野公昭
禅コーチングの5つの特長
特長1 「自分とは何者なのか?」という問いから禅コーチングははじまる
苦しさとは何か?
実は、人は苦しさをもって生まれてきます。
もっというと、テーマを抱えて生まれてくるのです。
仏教の開祖、釈迦はもともとインドの王家の王子として生まれました。しかし、その身分を捨てて出家し、さまざまな苦行を積みます。最終的には菩提樹のそばで瞑想を始め、そこで悟りを開いたとされています。
釈迦は幸せな自分だから修行に入ったのではなく、王家の一族という環境に違和感や問題意識を覚えたことがスタートになっているのです。
「自分の人生はこれでいいのだろうか?」という違和感が、まさに禅コーチングをスタートするきっかけになります。
釈迦が悟りの境地に入る道筋を説明したものに「四諦」という言葉があります。これは、「苦・集・滅・道」のことなのですが、その根本は、一切は苦であるという「苦諦」から出発しています。そして、最後の「道諦」は苦を滅する道があるということを唱えているのです。
幸せに生きることを考えることも大事ですが、まずは自分の苦しさとは何か知ることが、あなたの生きる「テーマ」を知るきっかけになります。
私たちはどこかで苦しい自分を認めたくないのです。しかし、思い出してください。皆さんは小さいころ、自分には何か問題がある。もしくは、何か理不尽さや疑問を感じていませんでしたか?
私には、ずっと自分の本当の居場所(ホーム)はどこにあるのか?という疑問がありました。
定住したいというより、まだまだ旅は続くように思う。私の人生ではなぜかいつも親しくなると、別れがくるのです。慣れ親しんだ場所よりも新たな旅立ちに心が向かうのです。
私の中では、ずっと旅は続いているのです。日々を一期一会で生きているのです。
今ではこれを受け入れることが出来てきましたが、昔はなんて寂しい人間なのだろうと自分のあり方を否定していました。
また、小さいころ、ずっと子供という存在が嫌いでした。転校生ということもあり、ひどいイジメを受けたことも影響しているのかもしれません。子供とは何て残酷なんだろう。子どもは何て自己中心的なんだろう。子どもは怖い。
あのとき「傷ついた体験」は、今も私の心に残っています。
私の人生を見てみると、子どものころ感じた自分の苦しさが起点になっています。そして、その提起された苦しさに関わる問題を解決しようと生きています。居場所についてもそうですし、人の残酷さもそうです。
病や死、自分のエゴ、人との関係、私たちは様々な問題を抱えて生まれています。
皆さんは、子どものころ、どんな苦しさを感じましたか?
どんな苦しさをもって、生まれてきましたか?
人はこの苦しさを出発点にして、少しでもこの生で解決するために生きているのです。苦しさは私たち1人1人が与えられたこの世での宿題です。
とはいっても、苦しさはできれば目を背けたいもの。しかし、苦しさを見ずにどんなに幸せに生きようとしても、どこかでつまずく可能性が高くなります。
それは、苦しさなしに人生を捉えると欲に走ったり、自己中心的になったり、諦めてしまったりと本当の課題から逃げ続ける人生になるからです。
人は道に迷って本当の自分に出会う
この与えられた課題に正面から向き合って生きることが、「試練」であり、「道」です。
もし、あなたが今、夢がないことやりたいことが見つからないことで悩んでいるとしたら、とても自然と言えます。
人は道に迷います。それは道を歩いているからです。「自分とは何者か」という問いの答えを見つける人生の道です。
これは、私たちすべての人間が与えられた宿題なのです。あなだけが苦しいのではありません。しかし、この宿題は誰かが解いてくれるのではなく、あなた自身が解いていくしかありません。
禅の教えでは、自分に苦しさがあることを認めたその時点でその人はすでに菩提つまり、仏であるとしています。
幸せを目的にすると幸せにはなれない
あなたが本当の自分に出会うには、2つの力が必要です。
それは自分を幸せにする力。そして、もう一つは苦しみを減らす力です。
幸せにする力が車のアクセルとすれば、苦しみはブレーキです。どんなにアクセルを踏んでも、苦しみを減らすことが出来なければ、車は空回りするばかりで前に進みません。
まずは、苦しみというブレーキをゆっくりと外すことからはじめましょう。
こう書くと簡単ですが、私の経験からいっても自分の苦しみを受け入れることがなかなか難しいです。
大事なことは、自分を否定しないことです。100%自分を愛してあげること。
情けない自分、苦しい自分でもすべてを受け入れることが大事なのです。そしてもし今受け入れられないとしたら、それも受け入れてあげること。ひとつ受け入れると、「ひとつ幸せ」が訪れます。
苦を受け入れて生きていると、同時に幸せを感じられるから不思議なことですね。
自分に与えられた真の「テーマ」を発見し、この世に受けた命の間に少しでも乗り越えていく。
ただ残念ながらこれはすべての人が望む生き方ではありません。なぜなら、取り組もうと思っても、簡単でも楽でもないので、面倒くさく避けたいテーマでもあります。
なので、こうした生き方にあえて挑む方は、10人に1人、いや100人に1人くらいかもしれません。しかし、古くはお坊さんが修行という形でこの難題に挑んだように「自分とは何者か」という問いを解決しなければ死ねないという人がいるのです。
まずは、自分の苦しさを知ることからはじめましょう。それが自分という謎をとく第一歩です。
特長2 「自分を大事にする」以前に大事なこと
「自分には何ができるだろうか」「自分の存在価値とは」
この疑問は子供の頃から、ずっとどこかにありました。ただ今から思うと、この問いをしているとき、人と比較して自分を責めていました。また、自分が存在する意味を見つけられず苦しみました。
「相手のことを思いやれる人になりたい」と思ったときもあります。
「利他の精神」というのは、相手を思いやる心とされます。しかし、いつもどこかで自分が先になって挫折していました。そういう意思の弱く偽善的な自分が嫌いでした。
いい人になったり、悪い人になったり。好きになったり嫌いになったり。自分のことを考えていると、なかなか忙しいです。
少しでもより良く生きようと思っているのに、なんでこんなに苦しいのだろう。そんな問いからコーチになり、また禅の修行をはじめました。
そこで分かってきたことがあります。
「利他の精神を持つ」というのは、禅の修行と似ているようで方向性がまったく違います。
自分が「利他」を大事にしているとき、「利他」は「利己」と対立しています。
これは、相手のことを考えているようで、実は自分のあり方にこだわっている状態です。
それがこの数年で、少しずつ変わってきました。自分のことを考えなくなってきたのです。
自分へのこだわりが薄くなっているといってもいいかもしれません。
こだわりが薄くなると、自分を責めることが減りました。
そして、自分へのこだわりが薄くなってくると、自然に人や周りのことが浮かんでくるのです。
あの人はどうなっていくのだろう。何かできることはないだろうか。
どうも自分がなくなっていくと、自然に相手を思いやれる心が生まれてくるらしいのです。
そのとき、自分と相手が区別されていないことに気づきました。自分が頑張って相手への思いやりの心を持っているのとは違うのです。楽でした。
これはあくまで個人的経験ですが、いわゆる「利他」や「慈悲」というのは、倫理や道徳の精神ではなく、人間本来のあり方に戻ったときに、自然に現れてくる姿と言えるのではないでしょうか。今は、そんな場所にいます。
人間であることを大事にするとは
これまで生きてきて、自分へのこだわりをやりきれたのかもしれません。もうこだわることに疲れただけかもしれませんが、もう自分のためには頑張れないようです。
自分のこだわりがなくなるというのは、自分をなくすことではありません。
人間であること自体を大事にすることです。
「自分を大事にすること」と、「人間であることを大事にすること」は似ているようですが、実はまったく違います。
自分が強くあるとき、人間であることから離れています。
ここで申し上げる「人間」とは生命であり、いのちの働きとも言えます。
木も人間も、生命として「いのち」に向かって生きているということでは、同じです。
あるとき禅の老子が、「いのち」の働きを川に喩えて話されました。自分というこだわりがあるとき、「いのち」の流れから外に飛び出ている状態になっているというのです。それが自我の働きです。
自我が強くなると、本来人間が持っている生命の働きがうまく機能しなくなります。他者との不調和というのは、いのちの流れから外れている状態から生まれます。
しかし、人は自分にこだわっている状態を価値ある状態だと考える傾向があります。
その誤解を解く鍵が、「苦しい」と感じることです。
苦しさは、何かが違うとき起こります。いのちに向かう生命としての人間のあり方とズレていることを知らせてくれるシグナルです。
禅が面白いのは、いのちの働きからずれたときに、それが苦しみになって教えてくれるという視点です。
頭で考えて出した答えがどんなに正しくても、もし苦しいのなら、人間として不自然になっています。
未来を計算してみて正解を出していても、もし苦しいのなら、人間として不自然になっています。
また本当のことが言葉になっていないとき、苦しいです。いのちの流れから外れているとき発する自分の言葉は、人間としての言葉とズレているからです。
私自身、自分が発する言葉に違和感を覚えていました。
多くの人は、言葉を使うことに疲れてしまっているのではないでしょうか。あなたはいかがですか?
私は、本当の自分を知りたいと思ったからコーチになりました。そのころは、本当にやりたいこと、自分の存在意義を探していました。
クライアントさんのことを知るほど、自分のことをいろいろ知ることができました。
自分のことを知るほど、自分を受け入れることができました。
自分が知らなかった側面を発見するたびに、新たな言葉を手に入れる喜び。未知の世界を探検しているような気持ちでした。
そして、それは終わりではなく、はじまりでした。
結局、自分が求めていた「存在意義」は見つかりませんでした。一瞬、掴んだと思ったことはありましたが、どれも幻だったのです。
いつしか「私とはなにか?」という問いから、「人間とはなにか?」という問いが新たに生まれていたのです。
いのちの流れに戻っていく時、自分の言葉から人間の言葉に変わっていきます。そして、人間の言葉が出てきた時、苦しさは消えます。
人間の言葉に出会えたとき、存在意義を探す自分はもういなくなっていました。
いのちへと向かうコーチという生き方
私にとってコーチというのは、仕事である前に、生き方そのものかもしれません。
ちなみにセッションでは、癖がある人ほど面白いです。
一方で、日常生活では癖が強い人とは付き合いたくありません(笑)正直、面倒臭いです。
日常生活で私が「自分」であるとき、相手の癖が自分とぶつかるからです。一方で、セッションでは「人間」に戻っていきます。人間であるとき、その癖はその人をいのちへの方向へと示してくれる手がかりになります。
自分が自分でいるときと、人間であるときとは、同じ人と関わっても、まったく違うのです。
私の場合はセッションをしているときが、お互いにもっとも自由な関係性にいられるようです。
一方で、普段さまざまな人に出会うときは、フラットではないときも多いです。特に禅の老師にお会いするときは、「ちっぽけな自分」が全開になったりします(笑)
あなたは、どんなとき人間に戻っているでしょうか。
人は状況で苦しむと思いがちです。もちろん、状況も影響していますが、本当の苦しみとは、人間の言葉に出会えていないからです。
自分が頑張っているとき、あなたの言葉は狭い世界に押し込められています。
人間の言葉が発せられたとき、あなたは自分の世界から出て、この世界を新しく知ることになります。
人はそれぞれが自分の人生を精一杯生きています。周りからみれば、そんな風に見えなくても、それぞれの生命を懸命に生きています。しかし、自分が頑張るだけでは限界があるのです。
木には土、魚には水、鳥には空が必要なように、人も周りの力を借りて生きています。
どんなに自分にこだわっても、限界があります。この世界とともに、「いのち」に向かう生命としてのあり方とはなにか。
人にとって、自然に存在することが一番難しいというのは、皮肉なことだと思います。でも、だからこそ挑戦しがいがあるのです。
特長3 昨日の自分を超えていくとは
坐禅は「パワーに頼らないあり方」
最近は、毎朝30分ほど坐禅しています。
ちなみに以前は5分坐るのも苦しかったです。5分と聞くとそれくらいはできると思われるかもしれません。やってみると分かるのですが、5分静かに坐るのも苦しい時があります。
経営者やアスリートでも坐禅をはじめる方が多くおられますが、続いている方は少ないようです。
なぜなのでしょうか?
坐ることに飽きる。手応えがないので嫌になる。沈黙が嫌。そもそも坐るということがよくわからない。
理由はいろいろあると思いますが、その根底にあるのは、「パワーで坐ろう」としているかどうか。
パワーで坐るというのは、言い換えると頑張って坐ろうとしている状態です。いい姿勢で坐ろうとか、息を長く吐こうとか、眠ってはダメだと頑張っているのです。
これは努力の坐禅です。実は、坐禅は頑張る方向では苦しくなって坐れません。
ということは、普段のあり方のまま坐ろうとすると、坐れないということになります。これに気づくまで10年かかりました(笑)
不思議なことですが、パワーが抜けてくると、自然に坐れるようになります。
坐禅は、パワーに頼らないあり方と言えます。
昨日の自分を超えていくという生き方があります。超えるというと、パワーを連想されるのではないでしょうか。実は、自分を超えるというのは、パワーの外にあります。
もちろんパワーというのは、生きていく上で必要です。仕事でもパワー重視という方も多いと思います。パワーで結果を出してきたという方も少なくないでしょう。
若いときは、思いきりパワーで生きるのもいいと思います。しかし、パワーだけではどこかで行き詰まるときがやってきます。
パワーを使うほど、心身は力み重くなります。心身に負担をかけ続けている状態なのです。
ちなみに、スポーツにおいて「怪我がなければ活躍できるのに」という選手がいます。もちろん、怪我がなければいいプレーができるのかもしれません。
ただ、怪我も含めて、選手の力です。怪我をするというのは、どこか無理な力を使っているのです。これは「できないことをしようとしている」状態です。しかし、特に若いうちは、そのことを認めようとはしません。
無理なことを求めているから無理な力を使い、その結果、身体が壊れるのです。
これは、しようとしすぎている状態です。多くのスポーツ選手が、することだけで結果を追い求めているのです。
「しないことをする」とは
禅は、「しないことをする」あり方といえます。「パワーを使わない」というのも、しないことをするあり方といえます。
パワーをどう扱うか。パワーでは超えられない壁があるということを受け入れることができるかどうかが、長く第一線で活躍できるかどうかの分かれ道といえます。
パワーの扱い方は、仕事でも人生でも大事です。
ちなみに、最近セッションにおいて、今言いすぎたかなと思うことがよくあります。実はこれは、いい兆候といえます。自分や相手のことも全体を感じられているからです。本当に言い過ぎているときは、そのことに気づいていません。
だから、あなたが「今これでよかったのかな?」と疑問を感じられている時は、結構いい塩梅でパワーが使えている時といえます。
だから、今いいことが言えたと自己満足している時というのは、多くの場合、いいすぎか、やりすぎているのです。あなたのパワーが強すぎるのです。
パワーというのは、身体の力のように思いますが、それは違います。パワーというのは、頭の力です。
シンプルに申し上げると、パワーは自分を強くします。当たり前ではないかと思われた方もおられるかもしれませんね。ただ、これってとても大事なポイントなのです。
自分を強くするというのは、自分という世界を作り出しています。パワーで生きているとき、この自分という世界をグルグルと回っています。
自分は強いと思っている時、きっと手応えを感じるでしょう。この手応えは頭が作りだした幻想の世界そのものです。自分の強さを誇示しようとキント雲で世界の果てを目指した孫悟空が、結局たどり着いたのは、お釈迦さまの手のひらの中だったということなのでしょう。
どれだけ強くなっても、頭で作った「枠」から出られないのです。パワーが大きくなるほど、世界は狭くなる。これはパワーの持つジレンマといえます。
あなたのパワーの度合いを知るために、ひとつ質問をします。
あなたが、普段何かをしているとき、自分が知っているあなたでしょうか?
これはなかなか難しい質問かもしれませんね。もう少し具体的な例をお伝えします。
たとえば、車が渋滞しているとき、どんなあなたが現れるでしょうか?
イライラする。時計を何度もみる。次の予定が心配になる。相手に迷惑をかけることが嫌。気持ちを落ち着けようとする。気にならない。
別の場面をあげてみましょう。何か緊張する場面を思い出してみてください。そのとき、どういう自分が現れるでしょうか。
ちゃんとしなければ。失敗したくない。やってやるぞ。
どういう自分がいいかどうかという話ではありません。
その自分は、よく知っているあなたかどうか。いかがでしょうか?
よく知っている馴染みの自分だとすれば、それは「既知の世界」を生きているということです。
好き嫌い。正しい間違い。執着やこだわり。自分を褒めたり、責めたり…
人は、慣れ親しんだ思考や感情などのループを回って生きています。
人の身体は、常に新しく生まれ変わっています。それは、心も同じです。だから新しく生まれ変わっていることが本来自然なのですが、頭の働きは、変わらない世界を生きようとします。永遠の命を求めるというのは究極のエゴですが、力を失うことを恐れるというのは、パワーで生きている状態といえます。
「からっぽ」という初心
今この文章を読んでおられる人の中には、何か新しいことにチャレンジしたいと思っている人もいるでしょう。あるいは、新しい世界に踏み出すか迷っておられる人もいると思います。
禅では、「初心」というあり方を修行します。初心とは、新しいことをするかどうかではありません。残念ながらどんなに新しいことをしていても、お馴染みの自分でやっていれば、それは新しくはないのです。
何をしていても面白いという人がいます。道端に咲いている花を見るだけで、その美しさに心を動かされる。日々体験することが新しい。これは、昨日とは違う今を生きています。
私自身は、新しいときとそうでないときがあります。空を見上げていても、何も感じないときもあります。ここで大事なのは、今この瞬間を、どういう自分で体験しているかに目を向けてあげることです。
なにか考え事をしながら空を見上げていると、無音の空です。また急いで歩きながら空を見上げていると、忙しい空です。どちらも、いつもの見慣れた空です。
このとき、今どんな自分が空を見上げているかに目を向けると、いつもの自分が繰り返されていることに気づきます。
すると、いつもの空は、少し色を変えます。少し肌寒い風に秋の深まりを感じるかもしれません。
新しい世界に出会うには、新しい自分でいられるか。
「パワー」の逆は「空っぽ」です。
空っぽという状態になっているとき、余計な力は抜けています。
空っぽだと、いろいろなものと交わりが生まれてきます。スッと力が抜ける
とき、普段のあなたとは違う働きが起こってきます。これが新しいあなたとの出会いということです。
まだ知らないあなたと出会っているとき、まさに「初心」で生きているのです。
まずは、今この瞬間、よく知っている馴染みの自分かどうかに気づいてみてください。そして、もし馴染みの自分であれば、大きく息を吐きながら、力を抜いてみましょう。
特長4 IからWeへのパラダイムシフト
「私」と「わたしたち」という視点
あなたはこの世界を「私の目」で見ていますか?
それとも「わたしたちの目」で見ているでしょうか。
「私」と「わたしたち」という視点は、禅の師匠と仰いでいる藤田一照老師から教えていただきました。藤田老師の言葉を紹介した書籍『青虫は一度溶けて蝶になる』によると、わたしたちがこれから取り組むべきなのは、「IのOS」から「WeのOS」へとOS自体を変えていくプロジェクトだそうです。
本の中で述べられていることを少し要約して紹介します。ご興味がある方は、ぜひ本を読んでみてください。
- 人間には人生を駆動しているOS(オペレーションシステム)がある。OSのアップデートを試みることで、この世界を見ているパラダイム(認識の枠組み)そのものを変えていく。これが「IのOS」から「WeのOS」へのパラダイムシフト。
- IのOSでは、思考も言葉も動作も、自分を守るために「分離」の方向に使っている。それがWeのOSでは、すべて反対の方向へと切り替わる。思考や言葉や動作を「つながり」の方向で使っていく。
- 無理に努力して「We」という状態になるのではなく、「そもそもWeとしてある」ということを見抜いていくということ。「I」という夢から覚めて、「We」という事実を現実として生きる。
誤解がないように申し上げると、「私」が悪いのではありません。大事なのは、「私」の視点になっているときに気づくこと。そして、いろいろな局面で少しずつ「わたしたち」という視点を入れていくのです。
藤田老師によると、体験する中で、「わたしたち」の可能性に気づいていくのが現実的なやり方ではないかと提案されていました。
まずは、普段どういうあなたで世界を見ているか観察してみましょう。
「私」なのか、「わたしたち」なのか?
楽しいとき、苦しいとき、世界はどう見えているでしょうか?
部分が気になる?止まっている?動いている?
「私」と「わたしたち」という視点の違いを体験することが最初のステップです。
心のあり方を「私」の力で変えようとするのは、難しいものです。心に心でアプローチすると、結局思考の枠組みの中で苦しむことになるからです。
同行二人の禅セッション
私自身は50年生きてきて、ようやく人にお会いする準備が整ったようです。
私は子供のころから友人や仲間がいませんでした。ずっと一匹狼で生きてきました。
今でも基本的に人と会うのは苦手です。人は好きだけど、人が怖い。臆病な私は、傷つかないように極力小さな世界を生きてきたのだと思います。
私自身が人と出会う準備が出来ていなかったのです。
コーチとして独立し、アメリカにいったり、食堂をやったり・・・この10年あまりは、人の力をお借りしなければできないことを体験しました。本当に苦しかったですが、少しずつ人と会えるようになっていきました。
気がつけば自分を大きくも小さくも見せようとせず、損得もなく、一期一会を大事にするようになっていました。自然体でいられるようになってきたのかもしれません。
やっと普通に人に会えるようになってきました。
「出会う」とはどういうことなのでしょうか。少し言葉にしてみたいと思います。
「同行二人」という言葉があります。
お遍路さんが巡礼するとき笠や白衣に書きつけていますが、一人で歩いていても弘法大師がいつも一緒にいるという意味だそうです。
何度も四国八十八ケ所を巡礼している方とお会いした時、同行二人は、お遍路に限らず人生の道にも当てはまるのではないかと話されていました。
「同行」は信仰を同じくするという意味もあるそうです。確かに禅を修行する中で、同じ方向に人生を歩む同行者のような存在にお会いすることがあります。
違う場所に住んでいて、別の人生を歩んでいる。でも、いつも一緒にいるような気がする。あなたにはそんな人はいるでしょうか?
もしおられれば、それが同行している人といえます。
もともと人は、何かといっしょに歩いています。
生命体としての人間は、この世界のすべての生命とつながっています。それが「いのちの働き」です。
運命の人と出会うとは
私という生命が、この世界とどうつながるか。そこに「運命の出会い」があります。
最近、整体の先生から私の身体のエネルギーが変わってきたと言われました。簡単に申し上げると、「頭でっかちで生きてきたのが、頭の力みがなくなってきた。そして、身体がイキイキとしてきた。」という感じでしょうか。身体がイキイキしてくると、出会う人が変わってくるというのです。
これまでの半生は、頭で考えて捕まえにいくことが中心でした。自分が描く夢やビジョンにむけて、出会いや知識、役割をGETしていくことに一生懸命だったのです。ただ、何かを捕まえにいくことは、自分に囚われることでもありました。
自分に囚われているとき、出会いも突っ張った出会いになりますよね(笑)
誤解がないように申し上げると、GETしていくのが悪いということではありません。私の場合は、いのちの流れから離れた場所でもがき苦しみ、孤独を経験したことで、ようやくもともとの流れがあることを知ったのです。
人は、出会いを探そうとします。しかし、これからお伝えする「出会い」は探して見つける出会いではありません。すでにあなたを見つけてくれている存在があるのです。
人生は「運命の出会い」によって決まっていきます。それは「同行者との出会い」です。
運命との出会いは数ではありません。探そうとすると100万分の1の確率よりも低いかもしれません。一生出会えない、運が悪いということになります。しかし逆から見れば、100%出会っているとも言えます。
分かりづらいかもしれませんね。言葉にするのはなかなか難しいです。
何かふっと浮かんでくることがあります。
運命と出会っていくのにお勧めなのは、何か起こった時、「今何かが導いてくれているのではないだろうか」という問いを持つことです。くれぐれも先に意味があるとかないとかジャッジしないことです。
問いを持つことで、引っ張ってくれているものが見えてきます。
引っ張ってくれている存在が感じられるようになると、余計な力みが抜けていきます。
先日、外の風の音が気になっていました。普段は「今日は風が強いな」くらいで終わるのですが、このときは問いを持ってみました。
なにか導いてくれているの?
すると、外ではためいている洗濯物のことが浮かんできたのです。夕方で気温が下がる中で、冷たくなっていく洗濯物を、取り込むことにしました。
いつもなら帰宅した妻に、「洗濯物取り込んでおいてくれたらよかったのに」と嫌味を言われたりします。
これは、妻が文句を言うから洗濯物を取り込んでおきなさいと言うことではありません。何かに導かれて、自然に洗濯物を取り込んでいたという感じです。
洗濯物に導かれているとき、心身はとても楽でした。お日様にあたって乾いた洗濯物を取り込みながら、幸せだなあと感じていました。
洗濯物を取り込むなんて、当たり前かもしれません。それが運命の出会いなんて、バカじゃないのと思われるかもしれません。
導いてくれている存在がある。それは、実はあなたに語りかけている。ただそれは普通すぎて、スルーしているのです。
誰と出会うのか。そもそもその前に、すでに「誰かと生きている」「なにかと生きている」のです。
そのことを感じられている時、人は自然体に戻っています。自然体は、いつもなにかと生きているのです。
まさに「同行二人」なのです。一人では、とにかく自分に囚われます。この世界はそういう風に出来ているようです。
同行二人をいっしょに体験するのが禅コーチングのセッションです。
特長5 イノベーションと対話
生まれ変わっていくとは、何かを捨てることでもある
ビジネスにおいて、イノベーションをいかに起こすかは大きなテーマです。イノベーションの代名詞と言われたApple社でも、スティーブジョブズ亡き今、イノベーションのジレンマに苦しんでいます。
イノベーションとは、生き物です。呼吸を続けないと死んでしまいます。常に新たな自分に生まれ変わっていくプロセスと言えるかもしれません。一呼吸ごとに人が生き死にを繰り返しているように、細胞が生まれ変わっていくように。だから、イノベーションとは決して特別なことではなく、むしろ自然の流れなのです。
しかし、人はイノベートしていくことを恐れます。消えることへの恐れ。失うことへの恐れ。失敗することへの恐れ。嫌われることへの恐れ。このまま続いて欲しいという願い。
だから、変わることから自分を守ろうとします。これは、良い悪いではなく、人間の真実です。「イノベート」と「守る」というジレンマが起こるのは、人間としての宿命です。
イノベーションはビジネスだけではありません。1人1人の人生においても当てはまります。人生におけるイノベーションとは、日々新しい自分でいるということでしょうか。繰り返し申し上げますが、イノベーションとは結果ではなく、生まれ変わっていくというプロセス。
いかに自然な流れに逆らわないかともいえます。
ビジネスも人生も昨日の延長だと考えがちです。それは、よい悪いではなく、「安定感」「安心感」を持ちたいという人間の特性です。しかし、安定感を求めはじめると、失う怖さがやってきます。その結果、得たものを守ろうとします。
生まれ変わっていくとは、何かを捨てることでもあります。
「不完全」からイノベーションははじまる
ビジネスや人生において「イノベーション」を起こしていくには、何が必要か。
科学や哲学などさまざまな論点から、イノベーションについて語られています。私は「不完全」が大事ではないかと考えています。
なぜ、不完全なのか?
それは、もともと私たちが不完全だからです。誰かがいなければ完成しないはかない存在だからです。
このはかなさは、英語では「Vulnerability」と表現できます。脆弱性、もろさ、傷つきやすい状態とも訳されます。
不完全とは、人間のそもそもの存在のあり方といえます。その不完全さをもっとも表現しているのが言葉です。言葉とは、本来相手がいなければ成り立たないもの。非常に傷つきやすい、もろいものなのです。
不完全な方が自然なのです。
しかし、人は不完全であることを恐れ、自分の中で、言葉で使って懸命に完結させようとします。傷つくことを恐れ、言葉で自分を守ろうとするのです。
守っている言葉からはイノベーションは生まれません。
新たな言葉が新しいあなたへと導く
イノベーションとは、もっと生の言葉から生まれるのです。
生の言葉とは、生まれたてのあかちゃんのような柔らかい出来たての表現。自分の中で何かを完結させるのではなく、未完結な不完全なままで表現するということです。作られていない言葉。
ただ、不完全な状態で未完成の言葉を発すると言うことは、現代社会においてはかなりの勇気が必要です。特にビジネスにおいて、不完全で言葉を発するということは、「考えが足りないダメな人」とジャッジされることに繋がるからです。
人は、「ダメな人」と否定されることを恐れます。だから、自分を守るために人から突っ込まれないような言葉を探します。恐れから発した言葉は守りの言葉。
私たちは、無意識のうちに、出来上がった形を見ると安心します。分かりやすいものを求めます。
生の言葉と出来上がった言葉。
出来上がった言葉は鎧に守られてはいますが、有機的な働きを失った状態。表面的には間違っていないやりとりだとしても、そこにエネルギーは生まれません。でも、通常は表面的な無難なやりとりでいいのだと思います。しかし、イノベーションは違います。
イノベーションとは、有機的な働きが起こって、そこに新たな何かが生まれることです。
不完全な言葉には有機的な働きが生まれ、「新たな言葉」が誕生します。この新たな言葉こそが、イノベーションなのです。
不完全で分からないという状態は、かなりの葛藤を伴います。でも、そこを通らなければ、イノベーションは起こりません。誰かが、不完全な言葉を発する「ファーストペンギン」になる必要があるのです。
「ファーストペンギン」とは、ペンギンの群れの中で、食べられてしまうかもしれない天敵がいる海へ、餌を求めて最初に飛びこむ1羽のペンギンのことを指します。勇敢な精神を持って未知の世界に挑む人のことを「ファーストペンギン」とアメリカで呼びはじめ、それが日本にも伝わってきました。
不完全な対話でも、誰かが「ファーストペンギン」になる必要があります。ただ、それはビジネスにおける強いパワーを持った人ではありません。自分を守るのではなく、もっとも弱い立場で、脆弱な心で、暗い海に飛び込むのです。
この勇気ある行動は、他の誰かに伝わります。ただ、多くの人ではありません。でも、この1人の心に火を付けることが、イノベーションのスタートになります。
ちなみに改善や改革には不完全な言葉はいりません。対話がなくても出来ます。むしろ、このような対話の場は時間がかかるし、面倒くさいものです。
しかし、イノベーションには、生々しい対話が必要です。
言葉は発する方だけではなく受け入れる方の形に合わせて生成されるからです。だから、無限の形が現れるのです。
イノベーションも1人ではなしえない。いっしょに新たな言葉を生み出していくプロセスといえます。だからこそ、「不完全」でいられる安全な場、そして「結果や目的」を切り離した「未完結」な場が必要です。これが無心を生みだし、新たな言葉を生み出していきます。
イノベーションとは普段の思考とは逆ともいえます。
ちなみに、私は仕事にも人生をイノベーションを起こし続けたいです。皆さんはいかがですか?
お客様の声
いすみ鉄道株式会社 代表取締役社長 古竹孝一様
もっと具体的に理念に身を埋め精進したいと本気で思うようになりました。
コーチングを受けた当初の私
当初、私は、コーチングと言えば部下や同僚への喋り方や好意をもってもらうためのアプローチの仕方だと認識しておりました。以前にコーチングを一度体験したことがあったので笑顔で頷いたり、相手の話した内容をもう一度繰り返してみたり、何度か講習受ければそれでOKなのかな?という気持ちでコーチングを受けてみました。
皆さんは、「自分が思っていても形に出来てないもの」「考えがボケて見えて理解してないこと」っていくつかありませんか?私は沢山ありました。
家族や妻に対しての思い、会社や従業員に対する思い、自分自身への問いかけに正面から向き合うことは、実はとっても難しく、なかなか出来てない人が多いんじゃないかなと思うのです。それを赤野コーチは、コーチングという形で正面から向き合う時を作って下さいました。
赤野コーチのコーチングによる変化
決してコンサルタントという上からの目線での指導ではなく ちょっと隣に座って同じ目線で感じてくれるというスタイル。最初の頃 私はコーチングの際にいつも自己防衛の壁を作っては、「なんとか頑張ってます。」とずっと言っていました。でもそんなことは、コーチからするとすぐにバレちゃうんですよね。
毎回受けるコーチングは、必ずヒントが得られ、とっても清々しい気持ちにさせてくれます。別に褒められることはそんなになかったですが、私はだんだん言い訳をしなくなりました。
ある時 私は妻と二人でもコーチングを受けました。2人で受けるというこのシチュエーション自体が大変違和感ありましたが、真剣に2時間コーチングして頂きました。
一つ分かったことは、毎日一緒にいる人なのにこんなにも彼女を理解していなかったことを私は理解しました。
今 私は、あの頃よりかなり彼女を理解することが出来たように思います。(まだ指導してもらっている最中ですが。)
赤野コーチのコーチングで変化した後の想い
コーチングという立場の最大のポイントは、答えを導き出すのは、先生でもなく立派な著書でもなく、コーチングテクニックでもなく、私自身であることであったことです。
コンサルタントのように「こうすれば儲かる」「こうしないと貴方は間違っている」と言われて改善していくのではないのです。すべて自分が答えを出していくのです。
恥ずかしながら私は経営理念を持ってませんでした。たぶん世間にありがちな言葉で作成したことはあったと思いますが、自分の言葉ではなかったのでした。
ある時 私は、赤野コーチに「私は後継者で理念がないんです。だから色々見失っているんです」と。
赤野コーチは「では一緒に作りましょう。貴方の言葉で作りましょう」と。
先日、やっと自分の言葉で経営理念を作成しました。今からもっと具体的に理念に身を埋め精進したいと本気で思うようになりました。
コーチングを身近に感じることができ、二人三脚で変わっていけたのは、赤野コーチのお蔭だと思っています。
まだまだ不甲斐ない一面は多々あるのですが、これからもコーチングという二人三脚の授業を受けながら正面から自分と向き合っていきたいと思います。
ヘアサロンROSSO 代表 久保咲子様(美容室)
私のコーチングを受ける前、ご自身の状況や状態はどのようなものでしたか?
- 自分を出せないでいた事
- 母親との関わりの中で大きく影響を受けて来た事
他にもコーチが大勢いる中で、なぜ私の講座やセッションを選んでくださったのでしょうか?
他のコーチを探すと言う発想が湧かなかったから(満足していて不満に思っていないから)
私の講座やセッションを受けて、どんな変化がありましたか?
- 急激に変化したのではなく徐々に変化して行った
- いつからなのか分からないが自分を出せるようになっていた
- 自分を内観することが出来なかったのが客観視することが出来るようになってきた
- 1人でお店を運営して来たが変化のおかげでスタッフを雇用して1人以上で仕事するようになった
私の講座やセッションでどのようなこと・場面が印象的でしたか?
- 自分では大きな変化と全く捉えていない事を大きな変化と言われて初めてそれに気づくというパターンがとても多い
- セッション中に何気なく聞いていた事が不思議と後日自分への問いとなる
私の講座やセッションを受けていなかったら、どのようになっていたと思いますか?
間違いなく今とは違う自分だったと思う…でもどうなっていたか。。。分からない。。。
悩んでいて苦しかった頃のあなたのような、私の講座やセッションを受けるかどうか迷っている方に、どのような言葉をかけてあげたいですか?
- 本当に解決したい事や向き合いたい事があるなら、ゆっくり焦らずセッションを受けると良いと思う
- 答えや結果を求めすぎない方が自然だと思う
森久美様(保険営業)
私のコーチングを受ける前、ご自身の状況や状態はどのようなものでしたか?
保険業をはじめて間もない頃の私は”人と合わせられない”、”精神的に不安定”、”目標を達成できない”など、課題が多くありました。
他にもコーチが大勢いる中で、なぜ私の講座やセッションを選んでくださったのでしょうか?
高松商工会議所でのセミナーを受けた先輩から”受けてみたら?”とのすすめがあったからでした。
私の講座やセッションを受けて、どんな変化がありましたか?
下の画像に気持ちの変化のグラフを描いてくださいました。
【コーチングを受ける前】感情の起伏が激しかった
↓
【コーチングを受けて】自分で気分の上がり下がりがコントロールできるように
数字の面 収入 年収200万円→1300万円に(6.5倍)
私の講座やセッションでどのようなこと・場面が印象的でしたか?
- 私の得技を仕事に活かす(キャラクター・似顔絵・歌など)
- 採用方法(具体的にハロワーク、スカウトなどの提案)
- 心の中のキーワード?(寂しい)から寂しい人をひき寄せる
私の講座やセッションを受けていなかったら、どのようになっていたと思いますか?
日本で(三井生命)3位の育成リーダーにはなれなかったと思う。
その前に”採用”、”育成”などできる人間にはなっていなかった。
悩んでいて苦しかった頃のあなたのような、私の講座やセッションを受けるかどうか迷っている方に、どのような言葉をかけてあげたいですか?
まずは、試してみたらどうかな?続けるかどうかはその次にして、まず会ってみると何か変わるかもよ。
有限会社茉莉華 松本美帆様(美容業・経営コンサルティング)
会社全体で、変化、変革、進歩しています。
赤野コーチのコーチングを受ける前の想い
私と赤野コーチとの出会いは確か5年ほど前になると思います。
会社を立ち上げて10年ほど経ったころ、大先輩の経営者の方からお食事に誘われてご紹介いただきました。
ただ、その頃の私はまったくコーチングに興味はありませんでした。
実は会社のこと、社員育成のこと、さまざまな悩みを抱えていたのですが、まさかその悩みの解決の糸口が自分自身にあることなどまったく気づいていませんでした。
そんなある日、赤野コーチが主催する楽しい講座があるとお聞きして、大切な右腕でもある従業員といっしょに参加しました。
その従業員が数年後どうしても赤野コーチのコーチングを受けたいと懇願され、これは私も必要なときが来たと思い2人で個人コーチングを受けさせてもらうことになりました。
赤野コーチのコーチングによる変化
おかげさまで自分がどれほど心を開かない人間であるか、自分にも他人にもどれほど厳しい人間であるかが分かってきました。
よく「社長が変われば、社員もかわる」と聞いていましたが、まさしく私のことを示す言葉でした。
現在、赤野コーチには全体ミーティングにも入っていただき、会社全体で、変化、変革、進歩しています。
株式会社二蝶様(料亭・飲食業)
具体的目標に向かって確実に前進していることを実感しています。
赤野コーチのコーチングを受ける前
わが社ではこれまで社員全体でのコーチング研修、会議の進め方研修(ファシリテーター育成のための研修)など行ない、社員同士のコミュニケーションを円滑化させる取組みを行ってきました。
業務に関する会議やミーティングにも参加していただき、さまざまなアドバイスも頂戴しているほか、経営者、責任者が個人コーチングを受けることで、事業を前進させるためのさまざまな気づきや学び、勇気をいただいています。
赤野コーチのコーチングによる変化
そんな中で、コーチングでは自分がどのような性格でどのようなタイプの人間かを改めて発見することができ、同じ考え方、全く違ったタイプの人にはどのように接したら良いかなどがよくわかりコミュニケーションの取り方がスムーズになりました。
また会議の効率の良い進め方、具体的な手法を学び、全員が参加できる会議、楽しい雰囲気で進められる会議作りに大変役にたっております。
また実際に会議に入っていただくことで現場だけの偏った意見だけでなく、客観的な立場で具体的なアドバイスいただきとても参考になっています。
またメンバーの思いや普段抱えている問題を引き出してくださるので会議が非常に活性化しました。さらに具体的目標を決め、それに向かって確実に前進していることを実感しています。
赤野コーチは親身になってじっくりと話を聞いてくださり、必ず良いところと改善するべきところを的確にアドバイスしてくれるので、話をしているだけでいつも気づきがあります。
また食べることが大好き(二蝶にとっては大きなことです)で、わが社にとっては価値観も共有できるところが魅力でもあります。
赤野コーチのコーチングで変化した後の想い
今後はわが社の経営理念の「和」に向かって社員同士がお互い尊重しあい、他人の意見を素直に聞き入れる広い心を身につけ、個人個人が成長できる企業を目指していきたいです。
そのためにも常に二蝶のために誠心誠意支えてくださっている赤野コーチとは末永いお付き合い、御指導を賜り成長し続けていきたいと思っております。
妹尾弦様 【早稲田大学社会科学部】
まさかと思うような結果…志望していた大学に合格できました
赤野さんは、僕に目標を定めてその目標を立てるにはどうしたらいいかを自分で考えるきっかけを作ってくださいました。
最初は大学に行くかどうかも定かでなく、勉強に対してあまりやる気はありませんでした。
また親からの紹介だったので、あまりコーチングを受ける気はありませんでした。
そんな中でも、赤野さんは粘り強く関わってくださり、まずは定期テストの点数から目標を決めるところからはじめました。
赤野コーチのコーチングによる変化
最初はなかなかうまくいきませんでしたが少しずつ成績があがり勉強へのモチベーションがあがってきました。
ちょっとしたことでやる気が出たり、逆に自信を失ったり・・・そんな自分をずっと励まして応援してくださいました。
また実は「記憶力」が強みであるということにも気づかせていただけました。それまでは苦手なことばかりで自信がまったくなかったのですが、おかげで日本史が一番の得意科目になったのです。
自分でもまさかと思うような結果が出たのです。
そして最終的には夢だった大学への合格までコーチングによって支えていただけました。
赤野コーチのコーチングで変化した後の想い
おかげさまで今では、自分で成し遂げたい目標に対して成功するためのプランづくりが以前よりも上手くなった実感があります。
また高校3年間の経験がこれからの人生に生きてくると思います。ありがとうございました!
有限会社ヴォーグ様(美容室業)
売上が伸びており、みんなの夢をカタチにできる見込み
当社は徳島県内に9軒の美容室を展開しております。
近年、美容業界は競争の激化とともに、スタッフの内部質の向上がなければ生き残れない、お客様のスタッフに求める技術と接遇のレベルが上がってきました。
カウンセリングにより、お客様の要望を聴き取る力が必要ですが、スタッフは核家族家庭で育ち、ゲーム世代で、入店当初は自分より年代の高いお客様への大人接客が苦手でした。
相手のことを思いやる想像力が上がれば、対応力も伸びると思い、コーチング研修をお願いしました。
赤野コーチのコーチングによる変化
コーチング研修を受けた結果、次のような効果がありました。
- やることの精度が上がった。
- 以前より話し合う機会が増えた。
- 聴き方が良くなり、話してくれる環境が作れるようになった。
- 相手の言うことを聞き切れるようになった。
- 思いやりが育った。
- 美容師として、職業に誇りとプライドを持てるようになった。
これまで30人以上のスタッフが1年間のコーチングプログラムを受講していますが、お客様への対応力も上がり、技術、商品販売ともに売上は伸びております。
赤野コーチのコーチングで変化した後の想い
夢を絵に描くことがあり、会社として、旗艦店を作りたいと描きました。
この春、60坪のサロン、駐車場18台、研修センターを完備して、みんなの夢を形にできる予定です。
これもコーチングを受講したおかげと感謝しております。
今後もさらに他の従業員にもコーチングを受講してもらい、成長し続けてもらえればと期待しています。