今回は禅の修行にお伝えしたいと思います。

禅では、私達の経験すべてが修行であるとされています。
まさにその通り、修行の中で、様々な気づきがあるのですが、
今回は初めて修行に参加した時の経験をお伝えしたいと思います。

修行は痛さに始まりました。
膝、足首、股、ふくらはぎ、背中に激痛が走る中、
残念ながら、まったく坐禅に集中できませんでした。

意気込んでいた気持ちも急速にしぼみ、ついていくのがやっとの自分。
最終日の朝行も、痛さに耐えながら必死で読経していました。

その時です。

ふと、本堂の窓が開いていることに気づきました。
緑が鮮やかだなと思っていると、爽やかな風が頬をなでました。

その瞬間、窓を開けてくれた人のことが思い浮かびました。
私たちが修行する前、朝早く起きて準備してくださっている人たちがいる。
感謝が心から溢れてきたのです。

その時だけは一瞬、痛さを忘れていました。
普段の生活にはない、研ぎ澄まされた感覚でした。

この体験をご住職にお尋ねしたところ、
「それは自分の尺度が変わったということ。
損得勘定ではなく、一瞬でも己の我から離れ、
『ありのままの目』になれたのですね。
それが仏の目で見るということですよ。」と教えていただきました。

修行の間は、食事から睡眠まで、すべてを自由に出来ません。
起きてから寝るまで、身体も心も苦しさばかりでした。

途中までは、まったく意味が分かりませんでしたが、今振り返ると、
この苦しさは、ありのままの自分を覆っていた自我だったのではないか、
修行の中でそれを研ぎ澄ましていたのではないかと感じています。

一瞬でしたが、「ありのままの目」は静かで、透き通っていました。

これは体験でしか出会えなかった感覚です。
頭ではなく心で感じる。これこそ、私が望んでいた成長の道です。

スポーツでもビジネスでも、
物事を広い視野で、かつ冷静に見極めることが大切です。
そのためには、この「ありのままの目」を磨くことが
非常に大切なのではないかと感じます。

私の目は、まだまだ濁っていることがよく分かりました。
これからの修行で、さらに自分の目を磨いていきます。

皆さんの目はいかがですか?