先日、『Buddhist − 今を生きようとする人たち −』の
上映会を高松で開催しました。
素晴らしい映画を少しでも多くの人に知ってもらいたいと
始めたこのイベントも今回で3回目。
称讚寺の端田副住職をはじめ、後藤サヤカ監督など
多くの方にご協力いただき、30人以上の参加者と
深く豊かな時間をいっしょに過ごせました。
この映画を見るのは4回目ですが、毎回印象に残る
シーンが違うのが面白い。
今回心に残ったキーワードは「する仏教」。
仏教や禅は、生き方について、いろいろ教えてくれます。
組織や特定の宗派に属することには、個人的に
興味がありません。
私にとっての「禅」は、実践のための生き方を教えてくれる
先生のような存在なのだと思います。
もちろん仏教の歴史や教義を学ぶことも大事だとは
思いますが、それよりも、たとえば、日々の食事を
味わっているか。
一つ一つ心を込めて味わっていると、不思議なことに
作ってくれた人に感謝の心が湧いてくるのです。
本来、「ご馳走」というのは、作ってくれた人が
走り回って食材を集めてくれたことに心を馳せる
という禅語から来ています。
何かを考えながら忙しく食べていると、
こうした心は湧いてきません。
禅の基本である「今を生きる」ことは、
特別なことではありません。
身の回りを掃除する、
当たり前のことに感謝するなど、
普段の生活で実践できることなのだと思います。
世俗で生きる私たちには、どんなに今を綺麗に生きよう
と思っても、なかなか難しい。
どうにもならない課題や苦しみが次々とやってきますし、
気づいたら心が汚れていたりします。
その中で、悩みながら、自らの答えを出していく。
清さにこだわるのではなく、また汚れることを
そのままにしておくでもなく、
どうにもならないことには耐え、
出来ることを一つ一つやっていく。
正解・不正解という答えではない「気づく」という生き方。
今回参加してくださった方々の感想やご意見をお伺いして、
同じような思いを持つ方も多いということに
あらためて気づかされました。
こうしたイベントを企画、運営することで、
見えてくるものがあります。
時には自分のエゴや思い込みに翻弄されます。
自分1人の力ではどうにもならないことを痛感し、
いろいろな人に支えられていることを感じます。
心をこめて準備をする中で、さまざまなご縁に磨かれていきます。
これが、私にとっての「する仏教」です。