人には、〇のエネルギーと□のエネルギーがあります。
言葉にするのは難しいですが、〇は円い感じ。
優しく、癒やされます。
どこまでもコロコロと転がっていく感じもあります。
禅のシンボルである円相も〇です。
□は折り目正しく、論理的であり、土台がしっかりしている感じ。
目標や結果を考えるときに、左下から右上に右肩上がりにいくイメージを描く方も多いと思います。
坐禅に取り組む中で、師匠から「坐禅は身体のエクササイズ」だと教わりました。
静かに呼吸に集中する中で、ちょっとした身体の変化に気づいていきます。
静の中の動を感じる中で、自分の身体感覚を研ぎ澄ませていくプロセスといえます。
筋肉を鍛えるのはウエイトトレーニングであり、フィジカルのエクササイズです。
ボディーワークとは身体に働きかけるセラピーやエクササイズの総称で、身体の感覚を磨くことができます。
ヨガもボディーワークといえると思うのですが、私は、ヨガに取りくんでも、なかなかしっくりきませんでした。
坐禅をさらに深めるべく、今年はボディーワークの学びに再び取り組みました。
まだまだ初心者の域を出ませんし、身体に馴染んだとは、とても言えません。
それでも奥が深く、メンタルトレーニングに活かせるヒントが満載でした。
詳しい内容はまたこのメルマガで随時お伝えしていきますが、
今回はボディワークとの出会いで磨かれた〇のエネルギーについてお伝えします。
今年の学びで特に印象に残ったのは、PBMというメソッドを開発された小笠原和葉さんの講座です。
講師が女性、参加者も私以外すべて女性という初めての体験をしました。
参加していると、毎回なぜか心が癒やされました。
場の優しさというか、心地よさというか、まさに〇なのです。
柔らかい泉質の温泉に入っているような感覚かもしれません。
男性が大勢いる場では感じることがなかったエネルギーでした。
普段、男性が多い場では、□な感じがします。
どちらが良い悪いということではなく、エネルギーが違うのです。
仕事で問題の原因を分析したり、解決策などを話したりしているときも、□な感じがします。
〇を味わってみると、□はやっぱり角張っているんですね。
意識していませんでしたが、結構□の角がぶつかって傷ついていたように思います。
論理的に思える議論も□です。
傷つけられたくないので防御すると、角が立つのでしょうね。
角と角があたると痛いです。
□ではない、まったく違う見方がこの世の中にはあるのではないか。
それを求めて禅を学びはじめました。
禅はまさに〇のエネルギー。
ボディーワークを学ぶ中で、そのことがさらに明確になってきました。
私たちは、〇のエネルギーも持っているのです。
それをいかに使うかを追求したいと思います。
おかげさまで、半年間の研修の中で、自分の中にある〇のエネルギーに初めて気づけました。
そして、〇のエネルギーを磨くことで、また少し深い安心感を自分の中に持てました。
私の人生のテーマは「対話」です。
あるとき相手の話を聴いているときに、これくらい力を抜いて良いのかというくらい力が抜けたのです。
あとから感想をお聞きすると、話を聞く時の私の表情はとても柔らかくて慈愛に満ちた、言葉にならないものだったそうです。
「それだけで癒されました」と言われました。
これは、私の目指している聴く姿でした。
コーチとして独立した当初は、聴くことを通して、いかにお役に立つかを懸命に模索していました。
相手に気づきを持ってもらうために、効果的な聴き方や質問、承認を大事にしていました。
聴くことで、自分の存在感を発揮することを目指していたかもしれません。
それが、禅に出会う中で、「聴く」というあり方に変化が出てきました。
いかに私の関わりを減らし、存在感を消していくか。
ただ鏡のようにあることを考える中で、言葉も自然に減っていきました。
しかし、それでもまだ無意識のうちに、自分をコントロールしようとしていたように思います。
クライアントの役に立つために、適切な自分でいなければならない。
そのために、どこか頑張っている自分がいたのです。
これは□の感じです。
ボディーワークを学ぶ中で、私の中に、背中を大木が支えてくれている感覚が生まれてきました。
地球という土台やお尻を支えてくれている椅子の存在など、
支えてくれるものがあることが感じられてくると、自分の頑張りが抜けていきます。
まず自分と共にいることが、すべてのスタートなのだと思います。
力が抜けた結果、聴いているときは、ただ共にいるだけ。
誤解を恐れずに申し上げれば、寝ているか寝ていないかの境くらいにいる状態です。
本当に寝ている状態ではなく、きちんと意識はあるのです。
ただ、まだ慣れていないので、時々本当に寝落ちしてしまいます(笑)
以前の自分でしたら、クライアントとのセッションの時間に寝るなんていうことは、
責任感がない行いであり、プロとして失格だと思っていました。
しかし、実は寝るくらいの状態にまで私自身が深い自分とつながっていることで、
クライアントにも深い安心感が生まれる可能性があります。
これはまさに、まあるいエネルギーです。
私の目指す方向は、まあるい心で聴くところにあるのかもしれません。
不思議ですね。
まあるい感じが生まれてくると、□ももっと愛せるようになってきました。
□をまあるく伝える感じでしょうか。
また、まあるい感じをきちんと□で伝えることも楽しいです。
今「ソマ」という言葉が使われるようになっています。
「ソマ」とはsoma。ソーマと発音されることもあります。
訳せば「身体」という意味で「ボディ」と同じですが、ソマとボディでは考え方が異なります。
ボディとは箱。
たとえば車の場合、ボディだけでは走りません。
ボディの中には、何もありません。
なので、そこに車でいうとエンジン、人間でいうと心が入っているという西洋的な考え方です。
ソマとは、身体が英知を備え、答えを持っているという考え方です。
私たちがもともと持っている身体性に目覚める「ソマティックワーク」というエクササイズがあります。
まだ日本では馴染みのない言葉ですが、スポーツでもビジネスでもこれから注目を浴びるでしょう。
〇のエネルギーとは、言い換えれば、感受性や母性。
これらはソマから生まれます。
思考では、どれだけ考えても□のエネルギーになってしまうように思います。
皆さんもぜひ、ボディワーク、ソマティックワークを体験されてみてはいかがですか。