昨日は、高校生のメンタルトレーニング。
今年で4年目になりますが、毎年生徒達の個性が違うのが面白いです。男子はやんちゃな選手が多い。一方で、女子は真面目な選手が多いです。
剣道という競技は、指導が厳しい。近年は、大分指導方法も変わってきているようですが、それでも指導者の言葉は絶対という風潮があります。
これが、いい悪いではありません。私自身、あえて厳しさを求めて、禅の修行に通っています。優しい言葉だけでは、乗り越えられない壁がある。
では、厳しさとはなんでしょうか。
スポーツの指導には、大きくわけて2通りあると考えています。
指導者が生徒に厳しく教えている場面をよくみかけます。生徒達は指導者の教えを真面目に聞いています。
もちろん、人の話を素直に聴く姿勢というのは大事です。素直さがあるからこそ成長できる。その姿勢を部活動を通じて養うということも修練の一つだと思います。厳しい態度や言葉は愛だと言われる指導者も多くおられます。
ただ、私は正直、こうした厳しさを押しつける指導は、好きではありません。その指導者の言葉が絶対ということになり、生徒達は指導者の答えを求めるようになります。それでも、高校生くらいまでは、答えをもらって、それをただ懸命にやっていくというスタイルでも通用するかもしれません。
ただ、こういう厳しさを押しつける指導スタイルでは、多くの生徒達が、高校まででその競技をやめていくというのも真実です。
それは、その競技の本当の楽しさに気づけないからではないでしょうか。
もう一つの指導は、「生徒に考えさせる」やり方です。このタイプの指導者は、言葉や態度で厳しさを押しつけようとはしません。
しかし、自分で考えて答えを出すということは、答えをもらうことよりも、遙かに厳しい。
禅の師匠は、答えを与えてくれません。「分からない」というのは苦しみです。暗中模索しながら、答えを出していくしかありません。
しかし、答えを出そうと試行錯誤する中で、さまざまな気づきがあります。これは自分でしか得られない「本当の体験」です。
この「分かった」という気づきは、自分らしいプレーへの道となります。もちろん最初は、未熟な答えからスタートします。少しずつ自分で答えを出していける力を身につけていくのです。
でも、そのためには指導者も、「信じて待つ」という忍耐が問われます。「教える、教わる」という一方的な関係性ではないだけに、さまざまな葛藤や問題も起こります。
生徒に考えさせる指導者の方は、自分が絶対とは考えません。教える立場であり、学ぶ立場でもある。だからこそ、誰かにサポートを求めます。私もそういう中で、メンタルの指導を依頼されました。
生徒達が、自分らしい答えをだしていくためのサポートが、メンタルコーチとしての私の仕事かなと思っています。部活動の中で、剣道の本当の面白さに気づき、卒業するときには、生涯にわたって続けていこうと思ってもらえるような高校生活になればいいなと願っています。